Samen

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留学がしたい??」
そう思い始めたのは私が高校生の時でした。
そのころは、ただ
「英語が使えたらいいな~」

(そのころは外国語といったら英語しか考えていなかった)

とか「海外に行ったら、自分の視野が広がるよね~」とか、
漠然としか考えていませんでした。

   しかし、一番の理由と言うのは、今考えると、ただ単に 「留学をする大学生」という華やかなイメージに  あこがれてたんだと思うな~。

私は、何を隠そう(何も隠してないって)何事にも、典型的なことが

 好きなタイプなのです。  クリスマスには、ケーキとツリーがあるように、バレンタインには、  恋人とチョコレートが不可欠なように、  私にとって、キャンパスライフに必要なものは、サークル、バイト、そして  留学だったのです。  こんな不純な動機でごめんなさい……


 そんなこともあり、私は、入学してすぐに  大学の留学説明会に参加しました。

しかし、そこで聞いたのは

「提携大学に留学できるのは年に2?3人」

「競争率が強く、ごく優秀な人だけが選ばれる」
「TOEFLで××点以上とらなくてはいけない」 
 私はすっかりやる気を無くしました 。
 英語は好きだけど、そんなに得意ってほどでもないし??
だいたいTOEFL受けるためにわざわざ東京に行かなくてはいけないって?

(めんどくさっっ!)

落ち込む私。

けれど、留学したいという欲求は、そんなことでは収まりません。 大学合格が決まってから、もう、私の頭の中で、何回もバラ色の 大学生活をシュミレーションしちゃってるのです。

「ハーイ!マイク。ごきげんいかが?」 颯爽と、アメリカンライフを送る私。(美化120%)

「まあまあかな。今日もチャーミングだね。サナ」 金髪美少年が答える。

「マーイク」 「サナ!」 「マーイク!!」

……ああ、麗しの日々。 いまさら変更なんかできないわよーっ!

もうすでに、私の頭のなかでは

「海外に行きたい」「海外に住みたい」「海外の人と話したい」

という欲求が最大限に膨らんでいました。

そこで、私は多少の妥協をすることにしました。

???大学じゃなくて、語学学校ならTOEFLもいらないよね
???ネットで見つかるかな。生協にも資料あったような
???一ヶ月くらいなら、自費でもなんとかなるか
私は、とりあえずバイトを始め、自分で語学留学先を探し始めました。
最初の候補地はカナダ。治安もいいし、費用も安いと思ったからです。
しかし、いくら計算しても、お金が足りない。
悩んだ私は、「この際中国でもいいか」と思い始めました。
(第二外国語で、たまたま中国語をとっていたのです)
ところが、そのころ中国では反日デモの嵐。
そこで妥協したのが、台湾という選択。
物価はそんなに安くはないけれど、カナダほどは航空費はかからず、
やすく押さえられそうな感じでした。
と、いうわけで、妥協に妥協で台湾に決めたわけです。

結果的には正解だったんですけどね。

おいしい中華料理の味に目覚めることはできたし、 それに素晴らしい友人や、 忘れられないおもいでもできた。   人生、何があるか分からない物だなあ!



3 留学(りゅうがく、るがく)とは、自国以外の国に在留して学術?技芸を学ぶことをいう。広義には自国以外の国に限らない場合もある。歴史的に、費用の負担に着目して、官費留学と私費留学を区別することがある。留学している人を留学生(りゅうがくせい、るがくしょう)という。

近代においては、欧米では単に外国で教育を受けることに過ぎないが、かつての日本など、近代化を目指す国にとっては、国を代表して先進の文明を学んでくるといった気負いがあり、現在の留学のニュアンスにもその名残りが感じられる。これらの留学生は、自国に戻ってから政治?経済の近代化に大きく貢献した。

一般に、国が発展途上段階にあり、留学先の国との近代化の程度のギャップが大きい場合ほど、留学によって得た知識が生きる可能性が大きいといえるが、留学先が自国に比して顕著に先進的な国である場合には、留学費用などの点で、官費留学などのシステムが整備されていないケースには留学が難しいことがある。また、自国が発展途上の段階にある場合には、そもそも出国に法律上?事実上の制限がある場合や、外貨持ち出しの制限など経済的な制約が強い場合が多い。

特にインド、ベトナム、カンボジア等の植民地の独立は、宗主国への留学生が中心となって行われた。

同義語に遊学があるが、遊学に比べ留学は「長期間留まって」の意が強く、その結果、外国において学ぶ場合に用いられる。なお、遊学の「遊(「游」も同義)」は、遊離?浮遊等に用いられる「(故郷等を)離れて」の意であり、従って、まじめに勉強しない留学生を揶揄的に遊学生と呼ぶのは、本来の意味ではない。

目次 [非表示] 1 日本の留学史 1.1 古代 1.2 中世から近世 1.3 近代 1.4 第二次世界大戦後 1.5 現代 2 留学の種類 2.1 海外留学 2.2 交換留学 2.3 私費 留学 2.4 官費留学 3 関連項目 4 外部リンク


日本の留学史 島国である日本では、古来から新知識、新技術は海を越えて大陸への留学によって持ち帰られたものだった。


古代 古代の日本にあっては、造船や操船の技術がまだ未発達で、留学はまさに命を賭しての一大事であった。奈良時代から平安時代の遣唐使、遣隋使の任はまさにそれで、目的地にたどり着けないもの、異国で学業を身につけたものの、終生帰国できなかったものも少なくない。この頃に『留学生(るがくしょう)』という言葉が生まれた。

著名な留学経験者 高向玄理、吉備真備、空海、円珍、円仁 中世から近世 鎌倉時代には元寇で大陸との関係が途絶するが、私的留学を行う僧らが渡航した。室町時代の日明貿易、戦国?安土桃山時代の天正遣欧使節、朱印船貿易、江戸時代の鎖国体制においても、異国への窓口であった長崎(出島)への国内留学によって、細々とではあったが海外からの文化は国内に入っていた。江戸時代後期には、輸入された学問や科学は、蘭学として徐々に広まっていった。

著名な留学経験者 栄西 道元

近代

明治時代には近代化、欧米化を目指して富国強兵、殖産興業を掲げ、岩倉使節団の派遣では留学生が随行し、司法制度や行政制度、教育、文化、土木建築技術などが輸入され、海外から招聘した教授や技術者(お雇い外国人)によって紹介、普及されていった。

それだけではなく、明治期以降、海外の優れた制度を輸入することや、海外の先進的な事例の調査、かつまた国際的な人脈形成、さらには国際的に通用する人財育成を目的として、官費留学が制度化された。(賃貸)無論、ある程度の財力を持つ人々やパトロンを得た人は、私費留学を選択し、海外での研鑽を選んだ人たちも居た。

著名な留学経験者 伊藤博文 井上馨 桂太郎 津田梅子 森鴎外 夏目漱石 中江兆民 小村壽太郎 東郷平八郎 高橋是清 湯川秀樹 朝永振一郎

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後は、アメリカ合衆国からの援助に基づき、フルブライト奨学金制度による学術留学及び研修留学や、ロータリークラブによる海外生活体験を目的とした留学が制度化され、多くの人が海外へ行けるようになった。その目的は、海外の人々との交流であったり、学術研究レベルや行政能力を引き上げることにある。また、当然のことであるが、国際人として通用する人材を育成するために国として制度化した部分もある。

現代 1985年プラザ合意以後の急激な円高傾向を受け、留学はより身近なものとなり、その目的や動機は多様化の一途をたどっている。これまで、日本の高等教育では例外的に水準の低かった経営学や金融工学を学ぶため、ハーバード大学等有名大学のビジネススクールでMBAや研究機関で博士号の取得を目的とした学術的なものから、能力の向上のみを目的とした語学留学、海外での生活体験を目的としたワーキングホリデー、そのほか看護や児童英語教師の資格の取得を目的とするものなどがある

留学市場の拡大と、各国の入国審査基準の複雑化によって、留学エージェントが数多く参入し、より安価で安全な留学が可能となったが同時に悪質な留学エージェントによるトラブルも起きている。

留学の種類

海外留学 国内留学 山村留学 - 都市部の学生が地方に留学し、通常の教育の他に自然体験などを行う。

海外留学 正規留学 交換留学 学術留学 研修留学 語学留学

交換留学 高校生の生活体験留学 AFS YFU 自治体 姉妹都市協定を結んでいる都市間で行われる生活体験留学 ロータリークラブ 各国のロータリークラブ間の協定に基づき行われる生活体験留学 大学間協定に基づく 交換留学 機関間協定に基づく 交換留学

私費留学 自己負担による留学。官費留学に対応する概念として存在するが、企業の従業員が企業の費用負担で派遣される留学に対比して、自らの出費にて留学 する場合の概念としても用いられる。

官費留学 国が費用を負担する留学。若手官僚を将来、国の役に立つ人材として育成するために行っているが留学 終了後、わずか数年で官僚を辞める人がバブル期以降増えており問題となっている。永田寿康がその代表例。